20200330

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こんな小さなブログにどこまで拡散力があるのか分かりませんけども

 

ライブハウスで言うと,思い出すのは高校生の時によく出させてもらった地元の小さなライブハウスで

 

そこでは,客席とステージが階段の一段差ぐらいの高さでしか分けられてなくてステージももちろん柵なんて無し。

 

ステージの広さは4ピースのバンドが出演したらそれだけで窮屈。5人組バンドだったら肩が触れ合う。Slipknotなんかが出演した日にゃ,パーカッション担当は客席かPA席で叩くことになるんじゃないかと思う。もちろん,瀬戸内の片田舎の小さなライブハウスにSlipknotが来るとは全く思えないけど。

 

そこを含め,地元では色んなライブハウスに出させてもらった。大きなところもあったけど,ほとんどが小さなライブハウスだった。深夜はキャバクラとして営業してるライブハウスなんてものもあった。出演は地元のバンドがほとんど。40人も入れば酸欠になるんじゃないかって思う。

 

色んな人と知り合った。好きな人もいたし,気に入らない人もいた。いなくなってせいせいした人もいたけど,あんなに仲が良かったのにいつのまにか連絡を取らなくなってしまった人もいた。

 

未だに当時バンド組んでたベースとドラムとは年に1回くらい会う。ベースとドラムは偶然同じ系列会社に入ったらしい。もう一人ギターを担当してた奴とは随分会ってないけど,なんか成人式の時に陰で俺をバカにしてたらしいから会わんとこって思ってる。ボーカルは北国で仏像の研究をしていたらしいが,今何してるのかは皆目見当もつかん。

 

あの頃色んなことがあったし,しなくてもいい経験もした。

 

今,ベースは仕事に励んで幹部コースを歩んでるらしい。それでも社外でバンドを組んで活動しているが「最近はあまり集まれてないな」とのこと。ドラムは「ここ数年スティック握ってないっすよ」と言って,結婚を考えている彼女と合流して商店街を消えていった。僕はギターからターンテーブルに乗り換え,休日は一歩も外に出ずにパソコンで音楽を作ってる。彼女もいないし,将来の見通しもない。ここ2日間だと,インドカレー屋さんでネパール人の店員に「オヒサシブリデスネェ」って言われて,「ふへぇへ……」って返事したぐらいか。

 

今僕たちはそうやって大人になった。

 

あの頃,大学へ行くことが決まった3月に,僕は初めてライブをしたそのライブハウスに遊びに行った。

 

「僕,来月には関西の大学行くんすよ」

 

そう言うと,店長さんはレッドブルを僕にお祝いとして渡した。まだその頃はレッドブルが日本に上陸したばかりで,コンビニで見たことがない飲み物に僕は少なからず驚いたし,ひとくち飲んで「変な味だな」と首をひねった。

 

僕にとって,ライブハウスとはそんな場所だった。

 

あの街から,そんな場所がなくなるとしたら,あの頃の僕はどこに行くんだろう。

 

そんな思いが最近胸を突きます。