読んだ本について語る時に僕の語ること#3【アゴタ・クリストフ(2001)悪童日記】

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

 

 

本読み仲間の家にお邪魔すると高確率で置いてあった本が何冊かあった。「悪童日記」はその中の一冊で,ハヤカワepi文庫の背表紙が本棚の中で存在感を放ってた。

 

だから多分めちゃくちゃ面白い小説なんだろうなってずっと思ってたんだけど,なかなか読むきっかけが無くて興味はあるけど読んでない状況がずっと続いてた。

 

それがこの前,家の近所の古本屋で投げ売りされてたのでこれ幸いと買って読んだ。

 

いや,はちゃめちゃに面白かった。

 

戦争中のヨーロッパ(ハンガリーらしい)にて,2人の兄弟は今まで会ったこともなかった祖母の家に疎開させられる。激しくなる戦禍,不条理な社会,醜さを露にする暮らし。そのような中で2人の兄弟は自分たちなりのルールを緊密に作り上げてゆく。生き延びるために。

 

『タフじゃなければ生きていけない,優しくなければ生きている資格がない』とはレイモンド・チャンドラーの小説の主人公であるフィリップ・マーロウの台詞だが

 

この小説は『タフじゃなければ生きていけない,優しくても生きていけない』世界を描いている。並みのハードボイルドの過酷さなど一笑に付されてしまうほどの現実なのだ。

 

不条理な世界で生きていくためには自分たちの中で条理を創り上げるしかない。それが世界からは『悪童』と呼ばれるような非倫理的なものであっても,自分たちの論理を創り上げなければ生き延びてはゆけない。

 

そのような彼らの在り方は,文体にも表れている。

 

(作文が)「良」か「不可」かを判断する基準として,ぼくらには,きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならない,というルールだ。僕らが記述するのは,あるがままの事物,ぼくらが見たこと,ぼくらが聴いたこと,ぼくらが実行したこと,出なければならない。

 たとえば,「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし,「おばあちゃんは『魔女』と呼ばれている」と書くことは許されている。

 ……感情を定義する言葉は,非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け,物象や人間や自分自身の描写,つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

 

彼らは世界の真実のみを表す。個人的な感情は論理になり得ない。感情ではこの世を生き延びてゆけない。

 

実際にこの小説の中で一時の感情に身を任せる者は生き延びることができない。

 

ただ,そのような生き方が悲劇として描かれているかというとそうではないように思える。これは彼らなりの生き方で,彼らなりに創り上げた世界である。そこに善悪や好き嫌いは存在しない。ただ「そう在った」のだ。

 

あと,文体に関して言うと凄く読みやすい。作者は第二言語であるフランス語でこの小説を書いたらしい。そのことに関する哲学的な意味はともかく,そうなると自然と簡潔で分かりやすい文で書かざるを無くなると思う。

 

しかし,思考する言語と伝える言語が異なるというのはどういう感覚なんだろう。主人公たちも劇中でいろんな国の言語を覚えるが,それが彼らの語り方や生き方に与えた影響は決して少なくないと思う。

 

この小説は戦時中を舞台にしているけれども,戦争という背景が無ければ通用しないような物語ではない。世の中が不条理だからこそ,自分にだけ通じる条理を創り上げなければならないのは,今の時代も同じだ。

 

誰だって生き延びるために生きている。とかく浮世は『悪童』ばかりだ。