20200809

起きれたぞ。

 

なんか微妙にアルコール残ってるな~

 

睡眠不足も微妙に足りてねえ~

 

電車の中で本読んでたら,マジでタイムスリップするみたいに寝てて「ふわぁ!ここはどこだ!?」ってなった。

 

職場に到着する頃には万事絶好調になってた。

 

意外にめちゃくちゃ忙しくてびっくりした。残業もした。

 

次の日休みもらっててホントによかったなっていう時間に帰宅した。

 

フランクルの『夜と霧』読んだ。

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

タイトルめちゃくちゃいいよなって思ってたら,どうやらこれ邦訳独自のタイトルらしい。

 

調べたら思ったよりも悲しい意味があった言葉だったから,悲しくなった。

 

『100分de名著』にも取り上げられてたんだな。

 

そういやこの前パセリと通話してるときに後ろで声が聞こえたから

 

「なんか見てんの?」って聞いたら

 

「100分de名著観てる」って言ってて

 

「ゲスト誰?」って尋ねると「河合俊雄」って言うもんだから

 

「ふ~~ん。もしかしてミヒャエル・エンデ?」って言ったら

 

バチバチに正解したし

 

「もしかして『モモ』?」って言ったら

 

作品もドンピシャに当たったからめちゃくちゃビックリした。

 

偶然。

 

夜と霧,

 

なんか強制収容所の話だってのは聞いたことあったんだけど

 

読んだらドボドボに良かった。

 

読んでる最中は色んなこと考えてたんだけど,読み終わったら全部忘れたな。

 

こんなことばっかりだ。

 

全然関係ない話なんだけど,序盤のパンチラインで「とにかく生きて帰ったわたしたちは,みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった,と」っていうところあるんだけど

 

本の内容とは関係ないけど,僕たちはいい人になるよりも間違ってない人になる方を目指すべきではないかというのは思ったな。

 

なんでって言われると途端に答えられないんだけど

 

なんで……

 

あ~~

 

適当なこと言うけど

 

善は必ず悪を内包するし,正義は必ず悪を内包するということを何となく感じるからかな

 

説明はしない!できねえ~。

 

え~~~っと

 

そういや,この本って収容所内の生活のルポルタージュなのかなって思ってたんだけど

 

そういったルポじゃなくて,明確に,収容所において人間の精神はどのような変革を伴い,そこで露になる人間の心性とは何かっていうところに焦点を当ててて

 

面白いけど,なんでそんな形式にしたんだろうって思ってたんだけど

 

本の途中で「生きる意味を問うこと。生きる意味を失くした者はいともたやすく命を失くす」という趣旨のことを繰り返し言ってて

 

その時,ああ,って

 

フランクルはこの経験を,この生活で得た人間の心理学的考察を,何かしらの形で世に出すことこそを自分の生きる意味としていたんだろうな」

 

って思って

 

実は「生きる意味」を訴え続けるこの本こそがフランクルにとっての「生きる意味」であったという入れ子構造になってることに気づいたときにハッとした。

 

だからこそ,収容所から解放されたときのエピソードが悲哀に満ちているのが堪える…

 

ふるさとに帰っても待ってる人はいない,すべてを犠牲にして耐えてきたその先にあるのは失意しかないということに気づいたとき

 

『収容所にいたすべての人びとは,わたしたちが苦しんだことを帳消しにするような幸せはこの世にはないことを知っていたし,またそんなことをこもごもに言い合ったものだ』ということを知った時の絶望感はすさまじかっただろうなと思う。

 

けど俺が知りたいのはそこなんだよ,むしろ。耐えてきたことすべてが失意に終わった時に,人間はそれでもどのようにして耐えしのげるかなんだよ。

 

苦しみを帳消しにするような幸せがないことを知った後の生き方なんだよ。

 

フランクルはそのことについてはまだ書いてない。他の本を読めば書いてるのかもしれない。書いてないのかもしれない。わかんね~。わかりてぇ~。

 

曲作った。

 

その後イラスト描いた。

 

友だちとディスコードで通話しながら麻雀をした。

 

1位取れね~。まあ1位を取るような打ち方してないから当たり前なんだけれども。

 

眠すぎてずっとButter-Flyの最初の「ご機嫌な蝶になって♪」っていうところだけずっと歌ってた。

 

ご機嫌な蝶になりてえよ

 

ご機嫌な蝶になりてえッッつってんだろ!!!!