Track Cruising. "in the room"レビュー
お待たせいたしました!!#potluckab の有志で作り上げたコンピレーションアルバム、発動🎉🎊
— Track Cruising.🛳🥂 (@trackcruising) 2020年2月15日
その名も"Track Cruising."🛳🥂
部屋でゆったりと聴ける"in the room'"
ハイテンションで踊れる"on the floor"
2つのアルバムから構成されています!
▼こちらからどうぞ▼https://t.co/spocesBSDT pic.twitter.com/fhrX9PpEk7
Potluck Labの有志のメンバーで作られたコンピレーションアルバム。
Potluck Labとはアリムラさん(in the blue shirtさん)とSTONES TAROさんが主宰してくださっている関西のトラックメイカーが交流できるようなイベントです。
詳細は主催のアリムラさん(in the blue shirtさん)のblogにて。
ネット配信を含めると4回行われており,先日2月8日に第3回が開催されました。
第一回の頃から参加させていただき,そのたびに僕も大変勉強になっています。
そのPotluck Labで知り合ったトラックメイカーたちによるコンピレーションアルバム
発表から約1週間経ちましたが,コンピレーションという性格を差し引いても一曲一曲のカラーバリエーションが広く,全く飽きる気配が無いです。
このレビューきっかけに,未聴の人にも興味を持っていただければ。
Slow Confidence(prod by Nerubeats)/ 芽田ぱに子
#trackcruising
— ほーりーA/holyA (@Ayataction) 2020年2月16日
アルバム通して聴くときは個人的に一曲目がかなり重要だと思っていて。
ルームはぱに子とNerubeats氏が、フロアは学位ととみめい氏がそれぞれ一曲目でアルバムの指針を示してくれるというか、まさに”アルバムの顔”になってて良いなと思った。と同時にさすが〜!と。両曲(良曲)に👏
わかる。
それと同時に曲にとっても最初の一音とか,歌いだしとか,そういったものってすごく重要な感じがしますよね。
柔らかいシンセパッドとソウルフルなボーカルチョップから始まるNerubeatsさんトラック。
段々とクラップやキックが入ることで,温かみが増してゆく。
空間を広くとったサウンドプロデュースが,なんというか,あくまで想像ですけど,明け方や夜の,見慣れた街が世界とつながるあの感じを思い起こさせます,想像ですけど。
"ほどけたスニーカーの紐結び直すように 立ち止まって下を向いた"
全然関係ないんですけど,芸人のバナナマンが言ってるチョロQ理論ってあるじゃないですか。
チョロQのように下がることが,新たなる前進のきっかけなんだと。
靴ひもを結びなおすことも俯くことも,この先のための布石なのさと
そういう言葉を曲の最初に伏線のように持ってくることが素晴らしいじゃないですか。
僕ですか?
僕はトミカなので下がったら下がりっぱなしです。
Apricot / mtkn
kawaii~♡
かわゆすなぁ~♡
僕はいま満席の喫茶店でろくに髭も剃ってないままこの文章を書いてます。
けどただただkawaiiだけではなく,曲の展開が読めないというか,思わぬところから思わぬ音がしたり
しかもその音がどれも個性に満ち溢れてる。
たしかに「かわいさ」って予測できないからこそみたいな。
最近また,らき☆すた観てるんですけど。
髪の毛が
青,紫,紫,ピンク
ってヤバくないですか。
つかさ,頭のあのでっけえリボンどこで買ってきたの?
こなた,小6の時のスクール水着いまだに着てるってなに?
そういった個性や予測できない展開が
可愛いを形作ってるんだな…って。
ぼく実はみゆきさんと同じで身長166cmなんですよ。
どうです,意外ですか? かわいいですか?
not chill / whoqi
柔らかい音に包まれてるのに,強くビートに踊らされてしまっているのはなんでだろう。
そこに絡んでくるボーカルチョップ。
ピッチを揺らされたぶつ切りの声は,落ち着きを与えるようで,なにか無言の言葉を投げかけているかのように思わさせられるのはなんだろう。
曲タイトルの"not chill"も,チルアウトっぽい印象を曲から感じつつも「これはチルではない」と言ってる。
しかし「じゃあ何ですか?」については何も答えてくれない。
余事象。
意味からの逃走,確実的な曖昧さ,否定の肯定。
みかんブリ。
無意味ではない。
夢の街 / とみめい
先ほどとは逆に無意味さの中に意味を探そうとするような。
アコースティックギターの音と共に揺らぐカットアップチューン
分断された掠れたような声は意味を持つことを拒否するようだが,節々に聞き取れる言葉が耳を奪う。
バラバラに散らかされた言葉から,その人が何を考えていたのだろうかと
その断片からどうにか,その人の物語を紡ごうとするのだけれども。
夢の街
理想か幻想か,どちらにしてもそんなものに意味があるのか。
この世には,見出そうとしなければ見つけられないものがあるのですね。
確定申告前の領収書とかさ。
higma / ループ
マジでなんでなのかは分からないんですけど,まるでデジャヴュのように高校生の時を思い出しました。
多分親しみやすいメロディがそう思わせるんじゃないかと考えるのですが。
デジャヴュというと,一度も体験したことのないはずの経験なのに,まるでループしているかのようにどこかで体験したかのように思える既視感のことですけども
当たり障りのない毎日の繰り返しを続けると,同じ言葉が頭を巡り続けてきて
ずっと同じところを回り続けているかのような印象を受けてしまったり。
けど,そういったなかでも,いつもの街並みが変わってたり
続く日々を,既知の繰り返しというロータリーに収束させるか,それとも新しい体験へと続くジャンクションと捉えるか
ただ少なくとも,続く日々を歌うこの曲の展開は目まぐるしいほど豊かなのです。
余談ですが,この曲を何度もローテーションして気づいたのですけど
「~してるんだ」を「~してんだ」と歌うと
急に邦楽ロックっぽくなる。
Lullaby For Android / Gakui
和訳すると「アンドロイドのための子守歌」でしょうかね。
アンドロイドは電気羊の夢を見るのでしょうか?
分からないですけど,ただ楽しそうな夢を見てるんじゃないか,この曲を聴いているとそう思わせられます。
シンセサイザーの電子音が,夢のような,それこそファンシーなメロディと共に夢の中へと導いてゆく。
しかし最後,この曲のアウトロを担ったのは生楽器の暖かみを持つピアノの音。
この示唆的な音がしめすのは?
果たしてアンドロイドは本当に機械仕掛けのアンドロイドなのか。最後のアウトロは夢から覚めた兆しなのか,それとも
まるで胡蝶の夢のような幻想的な印象を,この曲は最後に与えて消えてゆくのです。
僕も今日夢を見ました。
なぜか僕は自動車学校にいて
「なんにしましょう」
とおじいさんに聞かれるので
「免許証を4つくれ」と言うと
「2つで充分ですよ」と言われる夢でした。
iu / rudolf
「象徴的なタイトルだな…」
と,ずっと思ってましたが
どうやら「言う」をあえてローマ字に表記しているということに気づきました。まだご本人に確認はしてないんですけども。
何を言うのか,そしてどう言うのか(「言う」?「iu」?「いう」?)
この曲が,4つ打ちの軽快なリズムとポップなメロディで体を揺らさせるのは
言い換えれば,言葉では表現できない何かを身体を通じてどうにかして訴えようとしているようにも思えます。
"他人の言葉借り" という歌詞
私たちは誰しも生まれた時は言葉知らぬ生き物で
どうしても,他人の言葉借りることでしか言葉を借りることでしか言葉を紡ぐことができないのですね。
(別に僕が今から誰からの借り物でもない言葉で「づrぁじうぃどいyむじこらぴ」と叫んでもいいのですけど,それでも僕と友達のままでいてくれますか?)
"言葉にしたいんだ あっという間の最中"
確かに,本当に言わなければいけないことは
「あ」と「いう」の間の最中にあるのかもしれませんね。
ポケットにメグロ / HINA
例えば
曲を1つの料理だとしたら
和食,洋食,中華
手間暇かけたレストラン料理から,素朴であっさりとした家庭料理
吟味した食材を使用したり,インスタ映えするような見た目だったり
いろんな料理があると思うんですけど
この曲は料理として別カテゴリーのような
なんっていうか
なんつうのかなあ…
変なこと言うんですけど
この曲はメニューとしての「料理」じゃなくて
「料理」という作業を曲にしてるっていう
そんな感じがすごいするんですよ。
みんながお皿持ってきてるところに
ひとりまな板持ってきちゃった
みたいな。
「あぁ,この人はこうやって料理するんだなぁ」って
そう感じさせる曲なんですよ。
めちゃくちゃ驚いちゃうよね
「料理してきてくださいね」って伝えた時に
作った料理をみんなが持ってきてる中でひとり
料理作ってる風景を録画して持ってくる輩がいたら。
例えば『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーン
もしくは『ミッドナイト・イン・パリ』でのフィッツジェラルドの奥さんのゼルダ
そういった,コロコロと表情を変える方っていらっしゃるじゃないですか。
周りを引っ張ってゆくというか,むしろ周りが引きずられてゆくというか。
この曲の最初の印象もそうでした。
なんてコロコロと表情を変える曲なんだろう。
跳ねるようなシンセメロディを奏でたと思えば
静かなピアノが弾かれ
いつの間にか聖歌のようなパッドシンセが空間を埋める
全く飽きさせてくれないというか,こちらをどこまでも引きずってゆくようなそんな曲。
しかしそういった存在は時として危うい。
毎日のようにハリウッドの社交界に行って散財をし,酔っては浮気まがいの男遊びをしてくるゼルダ
そんな妻を抱えた夫であるフィッツジェラルドに対して,ヘミングウェイは何度も「やっぱ別れた方がいいって」って言い続けたとのこと。
けど,フィッツジェラルドは分かってたんだと思います。自分がそういった存在と共にいなければ,嵐のように風を巻き起こす人と共にいなければ,自分が傑作を書くのは無理なのだと。
この曲の優しいところは,そういった存在は危ないよと曲名で注意を促しているところだと,そう思います。
Back to the Basic / jizo inc.
個人的には "in the room"アルバムの中で一番好み。
シンプルに繰り返されるループにこれまたシンプルなボーカル
水の中を漂っているかのような気持ちにさせるDeep House。
人を揺らすのに,派手な装飾は必要ない
"Back to the Basic"
そう呟き続けるボーカルはその名を体現するかのようにシンプルなビートを刻み続ける。
ぜひともExtended Mix作ってほしい。DJで使いたい。
Simple is Best とは,こういうことなのですね。
僕もぜひこうありたいのですが
昔,工作の授業で筆箱を作った時に
「Simple is Best」とマジックででかでかと書いて
『全然シンプルじゃねえじゃん!!』って竹中君に言われたのを
いまでも根に持ってしまっているのです。
daydream / lamb.no
ピアノの音が優しいlo-fi hiphop。
それこそ,この曲聴きながら街歩いていると,風景がぼやけて白昼夢のように感じるというか,そんな感想を抱きました。
昔何曲か作ったことあるんですけど,lo-fi hiphopってなんか,ともすれば単調になりやすいっていう,僕なりの経験があるんですけど
これは全然そうじゃない。
なんでだろうって思うんですけど。
もしかしてこれ,Bassの音色何個も使い分けてます? 使い分けてなかったらすみません。
ピアノもすごく音域広く出てる豊かな音色で,ミックス大変だったんじゃないかって思います。あとフレーズも単純な繰り返しじゃなくて。あとちょっとレイドバックする感じがよい…。
ウワモノの音色もすごく透き通ってて。
あと,Drumですよね。ビートに身を任せるのは大変で,ビート側に身を任せてもいいだけの包容力が求められるのを,僕は音楽を作り始めてから知りました。
そういった練りに練られた音を必要に応じて抜き差ししていって……。
だめだ,なんかさっきから俺,余計なことばっかり言ってるな……。
けど本当に伝えたいのは,先ほども言いましたけどシンプルなものほどやっぱりすごいなって思うんですよ。
絵とかも,僕は全然よく分かりませんけど「パースが…」とか「遠近法が…」とかさ
そういう高度な技術?が透けて見えるのよりは
「色が良いね」「線がかっこいい」
とかのシンプルな感想しか出てこないものがやっぱりいいものじゃないですか? 知らんけど。
だから,僕もこの曲の感想を
「良み…」で終わらしたいんですよ,本当は。
なのにさあ,なんでこんなにめちゃくちゃ喋って,よく知りもしないくせにああだこうだ言って,最終的に何が言いたいのか分からなくなって
俺っていったい何なんだ。
Rain / hoshiasahi
パウル・クレーの絵に「北の海」っていう作品があるんですけど
ピンクや黄色,青色の淡い線がひかれてるだけの絵画なんですよね。
けど見た瞬間に
「ああ,北の海だな」
そう思ってしまう。
逆に,これはディスってるわけでは全然ないんですけど
Maroon5の"Sunday Morning"って曲,すごい好きなんですけど
"Sunday morning, rain is falling..."
って歌詞を読むまで,僕はこの歌の中で雨が降っていることに気づけなかったんですよね。もちろん,人それぞれの感じ方だとは思うんですけど。
話を戻すと,hoshiasahiさんのこの曲は前者だと思う。
インストで,雨のことなんか歌ってない
アコギの暖かい音が響き,キックがビートを奏でる
強いて言えば,冒頭でかすかに雨の音が聞こえるくらい。
けど,そこを抜きにしても,雨の風景が眼前に浮かぶわけなんですよ。
そういった音楽ってやっぱり稀有だなって
そう思います。
あと僕はラッパの音を聞くと,正露丸のにおいをした豆腐が頭の中に浮かびます。
Cruisin' / The Fubars
コンピのトリを務めるこの曲。
オートチューンをかけたボーカルにエレピの音が気持ちいい。
オルガンの音が寂寥感を呼び起こす。
夜を輝かせて見せてくれる曲ですね。
玉露レベルまで輝かしてくれるような。
アルバムはこの曲で最後なのですが
Cruisin'という言葉が
まだまだ終わらない航海を続けてゆく姿を暗示しているようで。
漂うのではなく,巡航している
どこへ向かうかは分からないけど,どこかへは向かっている
"同じことをしていてもひとり,またひとり" なのは,我々トラックメイカーの宿命ではありますが
こういった形で出会うことを"ユートピア・ランデブー"と呼ぶことも許されるのではないかと
そうも思うのです。
ところで,少し気になってPotluckってなんだろうって調べたら「参加者持ち寄りの食事会」という意味だそう。
それこそ今回のコンピ企画は,参加者が皆それぞれの曲を持ち込んだパーティだったように思います。
だからこそ,このようにバリエーション豊かな曲が集まったのだろうな。
完全に蛇足ですけど,僕は勝手になんとなく『フラスコ』みたいな印象を「ポットラック」という言葉に抱いていたのだけれど,「ラボ」の名前に引っ張られすぎてた様子。
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