読んだ本について語る時に僕の語ること#2【村上春樹(1994)ねじまき鳥クロニクル】

 

最初に読んだ村上春樹の小説は「ノルウェイの森」で,そのころ僕は京都で大学生をしてて,自分が世界の半数の人よりは頭がいいと思っているようなガキンチョで,1年通して布団のシーツを洗わないくらいに生活能力が欠如していた。

 

それは何年も経った今も全く変わってない。やれやれ。

 

ねじまき鳥クロニクル」は村上春樹の8作目の長編で,「泥棒かささぎ編」「予言する鳥編」「鳥刺し男編」の3部構成。なげ~。

 

あらすじ。法律事務所の事務員の仕事を辞めた主人公(30歳)は雑誌の編集者として働く妻と2人暮らし。最近,飼っていた猫がいなくなった。朝の10時半にパスタ茹でてると,知らない女からめちゃくちゃエロい電話がかかってくる。そのあと,主人公は奥さんに乞われて家の裏の路地まで猫を探しに行く。ねじまきみたいな声で鳴く鳥の声が聞こえる。路地でうろうろしてるとめっちゃ肌面積が多い服装の高校生に話しかけられて一緒に日光浴しながら猫を探すことになる。は? 高校生の家の向かいには井戸と鳥の石像がある寂びれた家がある。家に帰ると奥さんから青いティッシュペーパーと柄のついたトイレットペーパーを買ってきたことと,ピーマンと牛肉を一緒に炒めたことで怒られる。翌日「加納マルタ」って名前の占い師から電話がかかってくる。

 

意味わからんくなってきた。ほんとに嘘言ってないのよ,ぼく。

 

実際,僕的には今まで読んだ村上春樹の長編の中で一番難しいというか,僕の理解がまだ及んでいないところで書かれた小説だって思った。

 

けど,ひとつひとつの描写が本当に素晴らしくて,目の前に光景が浮かんできた。一部の最終章でのノモンハンの描写とか,凄すぎて時々本から目を離してコンディション整えないと読み進めないくらいに凄まじい描写だった。

 

あと,村上春樹の小説を読むと「きちんとご飯を作ったり掃除したりして,ちゃんと生活して偉いな~」ということと「この人,全然働かないな…」っていうことを毎回思う。

 

多分,労働と文学はかなり相性が悪い。大学時代に同じ文芸部だった先輩や友達を振り返ると,本読んでない人たちほどバリバリ働いているから間違ってないと思う。

 

丁寧な生活をすることが,できるだけ悪を遠ざける最善の方法なんだろうって村上春樹は感じてるんだと思う。違うかもしれないけど。けど生活がバグると日々の中に黒々と淀んでるものが入り込んでくる感覚はすごくよくわかる。

 

あと,これネタバレになるけど「また,女がどっか行った!!」って思った。村上春樹の小説に出てくる女性,どっか行きがち問題。

 

ダンス・ダンス・ダンスとかスプートニクの恋人とか

 

なんか,レイモンド・チャンドラーの小説で毎回息を呑むほどの美人がマーロウのところに依頼に来て,そいつが毎回嘘ついてるのとおなじような構造だなって思った。

 

あと登場人物の名前がいちいち最高。「加納マルタ」って。名前の理由がマルタ島で解脱したからっていうのも最高にクールだった。これ以降も最高な名前の登場人物がいっぱい出てきて楽しい。

 

そういえば,春樹の小説って普通の名字のやつと名前が分からない奴と変な名前のやつの3タイプに分けられるな。

 

って言った瞬間に,それ春樹の小説に限らず世の中の人の名前ってその3タイプのいずれかになるやろって気づいた。

 

けど変な名前の登場人物はいい。いま「さようならギャングたち」の主人公の恋人の名前が「中島みゆきソング・ブック」だったの思い出して笑顔になってる。

 

ただ実際のところ,まだまだ僕の理解が追い付いていないところがある小説だから,2年後3年後にまた読みたいよ。

 

その時にはちゃんとベッドのシーツを洗って,ちゃんと食事を作り,世の中のたいていの人間より自分は思慮浅薄だと気付けるようになってたいって心から思う。

 

ところで今気づいたけど,このブログのタイトルが春樹とレイモンド・カーヴァーのオマージュで,取り上げてる本が村上春樹って,めちゃくちゃナチュラルにハルキスト・ムーブしてて結構恥ずかしくなってきた。