Twitter、あるいは映画の魔#1【ランボー(1982)】

ランボー (字幕版)

ランボー (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

ランボーを初めて観たのはまだ大学生のころで,友達と深夜高速で九州に向かってるときに,小さな車載モニターの画面で「プレデター」と続けて観た。

 

その後レンタルビデオランボーシリーズは全部観た。個人的にはⅡのラストシーンが一番好き。

 

けど作品全体だとやっぱりⅠが別格だと思う。

 

ベトナム帰還兵のランボーは当時の戦友を尋ねて田舎町を訪れる。しかし,戦友は戦争時代の化学兵器の影響で既に癌で死んでいた。悲しみに暮れるランボーは食事をしに街に入る。しかしランボーを見た保安官は,厄介ごとを起こしそうな身なりだという偏見でランボーを街から追い出そうとする。それでも街へ入ろうとするランボーを保安官は不当にも浮浪罪とサバイバルナイフ所持でランボーを逮捕し,保安官事務所へ連行する。

取調室の格子からベトナム戦争時代の捕虜の記憶がフラッシュバックするランボーに対し,保安官たちは高圧的に接する。ランボーの髭をシェービングクリームもなしに剃ろうとしたとき,ベトナム戦争時代の拷問の記憶がフラッシュバックしたランボーはその場にいた保安官を素手で叩きのめし,山中へと逃避する。

プライドを傷つけられた保安官たちは何としてでもランボーを逮捕しようと山狩りを開始するが……。

 

っていうあらすじ。

 

あらすじだけ見ると,なんだB級アクション映画か??みたいな感じがある。

 

実際シリーズ3作目は大味すぎて,楽しいけど観たそばから記憶全部なくなっていった。

 

けれど,シリーズ1作目の根底に流れているのは,ベトナム戦争が残した社会の偏見と兵士の孤独という深刻な問題だった。

 

「何も終わっちゃいないんだ!何も! 俺にとって戦争は続いたままなんだ!」と叫ぶランボーの裏側には,戦争という経験がもたらすトラウマ,敗北した軍人に対する社会の冷たい目と受け皿の無さ,絶望,喪失,孤独がある。

 

1作目は戦場がアメリカ本土というところもミソ。アメリカは9.11と真珠湾以外に外部から自国の領土を攻められたことがない(はず。学がないので違ってたらごめんなさい)

 

常にアメリカは「外に出てゆく」強い存在であるというプライドがある。それは現代でもまだ続いている(トランプ大統領の人気には,アメリカという国が無意識的に抱いている「強いアメリカ」という欲望像が多大な影響を与えている)。

 

アメリカのその欲望が反映されているのか,次作以降の戦場はすべて国外になる。(2作目は若かりし日のジェームズ・キャメロンが脚本で参加しているそうだけれども「監督とスタローンは強いアメリカを体現する作品にしたかったようだ」と方向性の違いから途中から脚本にはタッチしていないらしい)

 

けれど1作目は,アメリカが生んだ問題に他ならぬアメリカが苛まれるといった,かなり内省的な内容になっている。

 

マッチョな男が子どものように泣くシーンには,アメリカに通底するマチズモと,その裏にある子どもの心が象徴的に表れていた。

 

ランボーという作品は,アクションというエンターテインメント性を保持しながらも,アメリカの社会が抱く問題を内省的に描いた作品として,やっぱり傑作だと僕は思います。

 

ちなみにランボーは3作目では「101分で108人仕留める」といったやりすぎ演出でギネスブックにも登録されているけれども,1作目は1人しか亡くなっていない(し,殺害してるのではなく過失致死)。

 

おそらく,戦場という人が不条理に死んでゆく舞台が背景にあるからこそ,人の死を安易に描こうとはしなかったのだと思う。

 

そんなことを感じながら久しぶりにもう一度見ていると,あの時,友達がハンドル操作間違って事故ったのを思い出して,よくもまあ無傷で今もちゃんと生きてるもんだと思いました。