2020年11月8日

『労苦は人を高潔にするというが,それは嘘だ。幸福は時によって人を立派にすることもあるが,大方の場合,労苦は卑劣で意地悪な人間を作り出すだけだ』

 

俺がこの言葉が記されたページに折り目を付けていた頃

 

その頃の俺は純粋で親しみやすさがあり,耐えがたいほどに愚鈍だった。

 

あれから既に4年以上経ち,その間に俺の純粋さと親しみやすさはすっかりこそげ落ちて,愚鈍さだけが残った。

 

とんでもない話だぜ。

 

俺は一回腹の底から泣いた方がいいのかもしれない。

 

時々人前で不意に込み上げてくる涙をそのまま流してしまった方がいいのかもしれない。

 

時には母の無い子のように

 

時には草原を行くカウボーイのように

 

胸の中のえずきと一緒に全部吐き出した方がいいのかもしれない

 

今の俺には制限時間内にたどり着けるかどうかわからないゴールと

 

既に乳酸まみれで贅肉だらけの,この身体しか残ってない

 

けど一体俺はどうやって泣けばいいのだろう

 

もうこの部屋には泣いてる俺を支え切れるものなんて何もないぜ

 

部屋にアルパチーノのポスターでも貼ってれば,少しは素直になれるかな

 

俺の身体は常に前に傾いてて

 

倒れないように必死に足を交互に突き出してるようだよ

 

左足か右足かが駄目になるまで足を前に突き出してくしかねえよ

 

いっそぶっ壊れるまでだぜ

 

背中から倒れる方法,知ってる奴は教えてくれ

 

まあ,なんだ,すでに手遅れなんだけども

 

前のめりにしか倒れらんねえ

 

知ってるぜ。コケるのを怖がって手を突き出した瞬間に,コケる。

 

『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である。』

 

だとしたら幸福にしてくれ。

 

人並の幸せを味わいてえよ。

 

もう労苦に苛まれて醜くなってく自分見てらんねえよ。

 

どんどんひねくれて,意地悪になって,卑劣で,他人も自分も傷つけて回ってる自分,哀れで見てらんねえっつってんの。

 

『正面からまともに自分を見れねえよ,ボロだもん』

 

幸福な奴はマジで幸福な奴の会話をする。これはマジ。俺が長いようで短い,ちょっと長い,ラー油のような人生で得た真実のひとつ。

 

幸福な奴はマジで「幸福な奴の会話」をする。

 

幸福な奴はそれでお互いの家庭や境遇に似たところを感じて,肩をたたき合い,酒を飲んで,笑って,騒いで,お互いの幸福を祝い,人んちのベッドルームにゲロを吐く。勘弁してくれ。

 

じゃあ不幸な奴はどうだって言うと,不幸な奴はお互いにしゃべらない。お互いに俺はあいつとは違うって思ってるからしゃべらない。仲良くなりたいとも思ってない。不幸な奴が集まったシェルターは,フケが髪から落ちる音さえ響き渡るぐらい無音。押し込まれた野良猫でも,さすがにお互いのしっぽをこすりつけ合い始めるだろってぐらい時間がたっても,マジでしゃべろうとしない。お互いに軽蔑しあってる。なんだこれ?

 

あとこれは言えるのは,ちゃんと人としゃべったりコミュニケーション取ったりするやつが大抵の幸せをかっさらっていく。不幸な奴は誰ともしゃべらないから持ってたはずのものもなくしたりする。これも不都合な真実のひとつ。は?ふざけてんのか?

 

俺はもう耳と目を閉じ,口をつぐんだ人間になった方がいい

 

その閉じた瞼の奥でしこたま泣いたらいい。

 

シェルターの中で誰としゃべるわけでもなく,ただ黙って涙を流して嗚咽をこぼせばいいんだよ。